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広島地方裁判所 昭和39年(わ)468号 判決

被告人 岸博

昭一四・一・二八生 自動車運転助手

主文

被告人を懲役五年に処する。

押収してある「あいくち」一本(証第一号)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、広陵運輸株式会社に自動車運転手として就職し、運転免許の取消処分を受けてからは自動車運転助手として勤務していたものであるが、昭和三九年八月二一日社用で呉方面に右助手として外勤中、右運転免許取消処分の憂さ晴らしに同乗者の赤松幸雄運転手と飲酒し、そのため予定の帰社時刻に遅れ、このことを同会社配車係石倉高志(当二六年)から叱責され、退職もやむなしと言われたことを遺恨に思い、自宅からあいくち一本(証第一号)を持ち出したうえ、同日午後八時過頃、同人を広島市矢賀町九九の四番地の同人方裏石切場に呼び出し、前記叱責されたことに因縁をつけて、同所において勝負を挑んだが、同人が被告人が兇器を携帯しているのを察知し、自己の身の危険を感じ謝罪していたところ、同人等の喧嘩を聞知し、右石倉の知人神野一男(当四〇年)が駆けつけて仲裁したが、同人等の話し合いに任せてその場を立去つたにもかかわらず、右神野が同所付近草むらにひそんで、右石倉に加勢しようとしているものと誤信し、かくなるうえは自己が先制攻撃を加えそのため、右石倉を殺害するも止むなしと決意し、いきなり腹巻に差し込んでいた「あいくち」(証第一号)を抜かんとして手をかけたが、同人がそれを目撃して咄嗟に身の危険を感じ逃走したため、殺人の予備にとどまつた

第二、翌二二日午前〇時三〇分頃、酒によつて前同市下流川町四五番地キヤバレー「カサブランカ」南側路上において立小便中、折柄同じく酒によつて同所を通行中の神保誠之(当二七年)に立小便するな。」と注意されたことに憤慨し、これに因縁をつけ、互に酒の勢に駆られて口論の末激昂し、同人を同所付近のガレージに連行したがその際、同人が両手を後手に廻しているのをみて、同人が兇器を隠し持つているものと誤信し、咄嗟に前記「あいくち」(証第一号)をもつて先制攻撃を加えそのため同人を殺害するも止むなしと決意し、いきなり所携の前記「あいくち」でもつて、同人の左側胸部を突き刺したが、同人がその場を逃れるとともに被告人も発見逮捕をおそれて逃走したため、右行為により同人に対し加療約三ヶ月を要する深さ肺臓に達する左側胸部刺傷の傷害を負わせたにとどまり、その殺害の目的を遂げなかつた

第三、法定の除外事由がないのに、昭和三三年四月一日頃から同三九年八月二二日までの間、広島県安芸郡府中町字山田安田ワカノ方自室等において、前記「あいくち」(刃渡り一四、五センチメートル)一本(証第一号)を所持していた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(確定裁判)

被告人は、昭和三九年九月一七日広島簡易裁判所で、道路交通法違反の罪で罰金一〇、〇〇〇円に処せられ、右裁判は同年一〇月二日確定したものであつて、右事実は労役場留置執行指揮通知書及び被告人の当公判廷における供述によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法第二〇一条に、判示第二の所為は同法第二〇三条、第一九九条に、判示第三の所為は銃砲刀剣類等所持取締法第三一条第一号、第三条第一項に各該当するところ、所定刑中判示第二の罪につき有期懲役刑を判示第三の罪につき懲役刑を各選択し、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは刑法第四五条後段により併合罪の関係にあるから、同法第五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各罪につきさらに処断することとし、なお右の各罪もまた同法第四五条前段により併合罪の関係にあるから、同法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第二の殺人未遂罪の刑に同法第四七条但書の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、押収してある「あいくち」一本(証第一号)は判示殺人未遂、同予備の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人には負担させないこととする。

(判示第一の事実を殺人予備罪と判断した理由)

判示第一の事実は殺人未遂罪の訴因であるところ、被害者石倉高志の検察官に対する供述調書中には「刃を半分位抜きかかつたところまで見ている」旨の記載があり、一方被告人は終始一貫して「あいくちに手をかけて抜こうとしたが抜いていない」旨供述しているのであるが、被害者の前掲供述調書によると、被告人が「シヤツのボタンをばらばらとはずし刃物に右手をやつたので、これは抜くなと思いさつと身をかわして走つて逃げ」た旨の記載があり、その直後いつどのようにして刃を抜いたのを見たのか不明確であるばかりか、当時の石倉の状況からして同人が次に来るべき行為としてその刃を抜くという行為を予見し、その予見が期待暗示となつて「刃を半分位抜きかかつた」のを見たとの供述となつたものと認めるの外なく、この点に関しては石倉の供述よりも被告人の供述の方が信用できるものと認める。とすると、当時被告人は殺意をもつてあいくちに手をかけたが未だ抜かなかつたことが認められる。従つて右被告人の殺意に基く行為は未だ殺人の実行に着手したものではなく、殺人の予備の段階にとどまつたものと解するのが相当である。ところで、殺人予備罪は検察官起訴の殺人未遂罪の訴因に当然包含されていると認めるから、訴因変更等の手続を経ることなく、認定した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 小竹正 太中茂 田中明生)

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